札幌で庭づくりをはじめて4年。
ナチュラルガーデン&クレマチスが好き
グレーと白のブチのウサギも飼育中
昨日、吉田兄弟のコンサートに行ってきました。
今も津軽じょんがら節聞きながら書いています。
コンサートは大きく分けて3部構成、
1部は、吉田弟が関わる若手トップクラスの三味線集団 「疾風」
2部は 吉田兄の準邦楽ユニット WASABI
3部は吉田兄弟
いや~三味線の音って痺れます。
それに生で聞くと、叩きの音の振動をビンビン感じる。
にわか勉強ですが、
2つの演奏法
叩き三味線
糸を豪快に叩くようにして弾く演奏法。現代では多くが叩き系の流れを汲み、前述の白川軍八郎も叩き系です。
弾き三味線
唄をうたうように繊細に奏でる演奏法。弾き系の流れを汲む奏者は現代では少ないとされています。
http://www.tsugaru-shamisen.jp/knowledge/
津軽三味線は,青森県の津軽地方で発達した三味線音楽で,バチを叩きつけるように弾く打楽器的奏法と 速いテンポの曲が特徴。
明治時代に 津軽地方で“ボサマ(坊様)”と呼ばれる盲目の旅芸人が,家毎の軒先で三味線を弾き 金や食料をもらって歩く“門付け(かどづけ)”の芸として始まった。
津軽三味線の始祖といわれる“仁太坊(にたぼう)”は金木(五所川原市)の生まれで,幼くして天然痘にかかり生死をさまよった末に失明してしまった。さらに子供時代に両親を失って天涯孤独となった。
彼は生きるために門付けを行い,毎日の糧を求めて三味線を弾き歩いた。他のボサマより目立つために,より大きな音・派手な技を追求するようになり,やがて“叩き奏法”を編み出して 自分の三味線芸を創り上げていった。
弟子達にも“人真似でない自分の三味線”を弾くという芸哲学が伝えられ,弟子の一人・白川軍八郎が“曲弾き”(三味線の独奏で曲芸のような弾き方)を編み出した。
昭和40年代の民謡ブームで 津軽三味線は一世を風靡し,それまで単に“津軽もの”などと呼ばれていたこの“ボサマ三味線”は『津軽三味線』と呼ばれるようになった。
本来は単なる伴奏楽器として演奏されていたものが,やがて三味線のみで演奏する“前弾き”が独奏として独立し,合奏団形式のコンサートが演じられるようになり,独奏楽器として吉田兄弟等の演奏家が台頭してきた。
http://hamadayori.com/hass-col/music/TugaruShamisen.html
参考
独特な奏法が特徴の津軽三味線、意外に歴史は浅い
http://www.athome-academy.jp/archive/culture/0000001061_all.html
津軽三味線は、東北の厳しい気候風土の中で生きる糧を得るために、まさに命を懸けて生まれたものと言えるでしょうね。
北海道に来てますますおもいますけれど、日本の温暖な地方では二毛作ができたり、米を2度作れなくても、冬季のあいだに冬野菜をつくれたりする、けれど北国はそれができません。
東北以北では、米作・農業中心の生活では豊かさとは程遠い所にいた人たちがたくさんいたのだろうと思います。
三味線の音色には、そういうものを感じてしまいます。
音楽もただ楽しいだけではなく、そこに込められた切なる思い、願い、が伝わってくる。
そういう音楽が、邦楽、洋楽、ジャンルを問わず、好きな気がします。
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引っ越し(家の売買も含め)7回を経て札幌郊外に
現在は築32年の家をリノベーションしたもの。
100坪以上の庭も改造中
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