札幌で庭づくりをはじめて4年。
ナチュラルガーデン&クレマチスが好き
グレーと白のブチのウサギも飼育中
いわゆるいじめとは違うと思うが、これはいじめだ。
父の自殺を学校で謝罪させられた娘
「これからもよろしくお願いしますと頭を下げろ」
自殺者の遺族に向けられる差別偏見の解消を目指すNPO法人「セレニティー」(東京)。その代表理事を務める田口まゆさん(39)には今も忘れられない思い出がある。
中学1年生のとき田口さんの父=当時(39)=が亡くなった。突然行方不明になり数日後、自宅から遠く離れた山中で遺体が見つかった。
父親の死は中国地方の小都市ではすぐに知れ渡った。父親の喪が明け、中学校に登校した日、朝礼の時間に担任の教師が突然、田口さんをクラスメートの前に立たせ、謝罪をさせたのだ。
田口さんは「小さな町を騒がせたことを謝れということなんだろうか。なんで?と思いました。でも、当時は頭を下げなければいけない人間になってしまったと思い、抵抗できなかった。大切な父を失ったショックに加えて、父への怒りがわいた」と振り返る。
(中略)
3年、5年、10年…たっても消えない、苦しい感情。抜け出すきっかけを求めて、担任に会いに行くことを決めた。すでに校長になっていた教師は快く会ってくれた。
田口さんが「頭を下げなければいけなかったこと、本当につらくて。なぜなのか聞きたくて」とたずねると、返ってきた答えは「覚えていない」だった。「先生は、そのあと笑って『そんなこと気にしてるから結婚できないんだぞ』とまで言ったんです」
解決の糸口はまるで見つからなかった。行き場を失った心情を、自殺者の遺族同士が語り合う「分かち合いの会」で打ち明けた。
そこで遺族の会のメンバーは田口さん以上に怒りを表したという。「『教師が悪い』と言ってくれたんです。初めて、私はおかしくない、もっと怒っていいんだと思えたんです」と振り返る。20年以上の歳月が流れていた。
全文は以下
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121109/wlf12110911020004-n1.htm
父の自殺で辛い思いをしている教え子に向かって、「皆の前で謝罪しろ」
そうして自分が言ったことはすっかり忘れている・・・(もしくは覚えてはいても忘れたと嘘をつく)
長年、抱えてきた苦しみ、しかしその苦しみを与えた本人は忘却している。
残酷な話である。
けれど、よくある話じゃないかな。
言ったりやったりした方は、痛みをともわないから覚えていないのだ。
もし、痛みに共感できる人、思いやりのある人だったら、たとえ実際に覚えてなかったとしても、「それは申し訳ないことをしたね、すまなかったね」と謝るだろう。
その教え子がずっとつらい気持ちを抱えて生きてきたのは、事実なのだから。
こういう人間の特徴は、想像力がない、共感力がないということかしら。
もし、自分の父が自殺したら・・・、もし自分がいじめられるほうなら・・
と言うことが考えられない。
つまり、あまりお利口でない≒愚か。
自分が誰かをやっつける、当然、自分が誰かにやっつけられることもあるだろう。
それでも、誰かをやっつけなければ気が済まない、
とどのつまり、その規模を大きくしたものが戦争だ。
争いあい、やっつけあっている間に、
漁夫の利(軍需産業=商人≒支配者階級=戦争の前線に立つことのないもの、いてもすぐに安全なところに逃げられる人間たち)を持っていかれているのに永遠に気づかない
というのは、こういう人間たちなのかもしれない。
以下、やっと書き上げました。
書いていてつらいのでどうしても時間がかかります。
児童虐待・親に殺された魂を悼むために
http://www5.ocn.ne.jp/~iranka/jidougyakutai.html
さて、昨今、にわかに注目され増加しているかのように見える児童虐待、および放置による児童の死亡ですが、平成、2000年を過ぎたいまよりも、昭和時代のほうが多かったのかもしれません。
参考
児童虐待についての基本データ
http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/archives/52175200.html
なお、親が育児を放棄したような事件は、警察庁『犯罪統計書』の少年の福祉を害する犯罪のうち「保護責任者による幼者遺棄」の統計で判ります。いまたまたま手元にある資料から検挙者数を見てみますと、昭和34年80人、昭和36年64人、昭和37年80人、昭和39年68人、昭和40年67人で、最近はと云いますと、平成18年20人、平成19年16人、平成20年18人となっています。親が子どもの養育を放棄して逮捕されるのは四分の一まで減ってます。子供の数は半分ほどになっているので、子供の人口比でも半分に減ってますな。
虐待につきましては、同じく少年の福祉を害する犯罪のうち「保護者等による第二七章(傷害)の罪」を見れば判りますが、検挙者数は昭和34年110人、昭和36年84人、昭和37年35人、昭和39年57人、昭和40年78人で、この「保護者等」というのがどこまでの範囲なのかよく判りませんが、実父母、養父母、継父母、内縁関係、祖父母などその他の保護者を含めた児童(18歳未満)への傷害罪の平成20年の検挙者数は、144人となっています。
日本の経済成長に合わせるように昭和三十年代半ばから順調に減っているのに、子どもの場合は、同じく昭和三十年代半ばから一度は減ったように見えて、団塊世代が親になると数だけではなくて率でもまた元の水準に戻ってしまうのです。団塊ジュニアの受難はこんな時からすでに始まっていたのでした。
もっとも、団塊ジュニアの親は団塊世代よりもひとつ上の戦前戦中生まれのアプレ世代が多いそうで、あらゆる面で凶悪凶暴なこの世代の本領が発揮されたということなのやもしれません。
児童虐待について公の機関がまとめた詳細な統計というものはないようです。
いろいろと報道&騒がれながらも、実態解明がなされないとうのは、精神科病院の実情や、自殺者の検死(自殺た他殺か?)、冤罪、震災間れ予算の分捕り合戦とか、なんでもうやむやにする日本の美徳の一つなのでしょう。
官僚とやらはお給料はたくさんもらっても、その仕事の中身は、支配者階級のための下請け仕事であって、大多数の人口を占める国民、庶民、平民のためではないのですから、致し方ありませんが。
児童虐待ですが、この概念が成立したのは、1900年も半ばを過ぎてから、つまり20世紀になってから、
それまではよくて躾、大人の所有物、道具みたいな感覚は当たり前だったのでしょうね。
人権概念でさえ、15世紀過ぎ、奴隷階級はそのままでしたし、インドでは近年に至るまで厳格なカーストが存在していましたし、肌の色による差別は今もまだまだありますし、
酷いことがたくさんある世の中ですけれど、それでもやっと人間はここまでたどり着けたのかもしれませんね。苦い笑い
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kisaraki
性別:
女性
職業:
主婦・母親・自由業・他
趣味:
読書・ガーデニング・カメラ他
自己紹介:
生まれと育ちは関東地方
引っ越し(家の売買も含め)7回を経て札幌郊外に
現在は築32年の家をリノベーションしたもの。
100坪以上の庭も改造中
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