札幌で庭づくりをはじめて4年。
ナチュラルガーデン&クレマチスが好き
グレーと白のブチのウサギも飼育中
前記事ではざっと古代における石鹸の起源から工業化されていくまでをみました。
その石鹸(サボン)が日本にやってくるのは安土桃山時代、
かの有名な種子島にてぷが伝来する頃と同じだそうです。
石田光成さんの豪商のなんとかさんにお礼の手紙の中に
サボンの名があるのが、文献に登場した最初のようです。
http://yajifun.tumblr.com/post/528055811/soap-bubble-harunobu-1700
この頃の石鹸は高価で大名などの一部の人しか手にすることはなく、
洗浄剤よりも、下剤などの薬剤として使われたそうです。
エッ下剤ですか・・・

と思いますが、ここで突っ込むのはやめておきましょう。
この頃「一般の庶民が手にすることはなかった」
確かにそうでしょう。
15世紀、16世紀には本家本元のヨーロッパでオイルと海藻灰や木灰で
作られていましたから、大量生産はできないし、
さらに船によって遠路はるばる運ばれてくるのですから、
高価なぜいたく品だったことでしょう。
ヨーロッパでも石鹸が大量生産されるようにのは18世紀になってからです。
当初、ごく限られた人々のものだった石鹸、
誰もが石鹸を使うようになるのは日本では明治時代後半。
逆に言えば、石鹸を使うようになって1世紀、
100年ぐらいしか経っていないってことですね。
国産の石鹸が初めて売り出されたのは1873年(明治6年)。
堤磯右衛門が1本10銭で棒状の洗濯石鹸を販売しました。
その品質は舶来の石鹸に比べて今ひとつだったそうです。
その後1890年(明治23年)には、国内初のブランド石鹸「花王石鹸」が発売。
現在の花王石鹸創立者・長瀬富郎が製造販売したもので、桐箱に3個入って35銭。
当時は米1升が6~9銭、非常に高価な商品でした。
http://www.live-science.com/honkan/soap/soaphistory03.html
明治後半になると価格も下がってきて、
そこでようやく庶民も洗顔や入浴、洗濯などに石鹸を使うようになりました。
それから1世紀ほどが過ぎ、
今や時代は清潔ブーム、ドラッグストアなどに行けばシャンプー、
石鹸、ハンドソープ、ありとあらゆる華やかな包装に包まれた商品が
所せましと並んでいます。
つい100年ほど前にはこういうものはすべてなかったはずです。
ここでちょいと疑問に感じるのは、こういう品々、石鹸ようなものがない時代、
つまり誰もが石鹸を使う世になった明治時代後半まで、
日本人は体を清潔に保つ有効な手段をもっていなかったのか?ということです。
石鹸がない時代のヨーロッパでは、オリーブオイルと砂を使って体の汚れを落とした後、ハーブを使った軟膏を塗って保湿することが行われていたようです。
http://plaza.rakuten.co.jp/ayumills/2028/
所変われば品変わる、
次回は石鹸のない時代、日本では体を清潔にするのに何が使われていたのか。
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庭仕事も一段落というか冬の間は休まざるを得ない、ということで目先の違う記事を。
けれど、大きな目で見れば庭仕事も自分の体のケアも繋がっているのですね~
それは最後にわかることとして、いつも何気なく使っている石鹸のことから。
石鹸の歴史をネットでググってみたけれど、1万年前からとか、メソポタミア文明からとか、
統一された見解はないようです。
特定の石鹸メーカーのサイトではないので少しは公正かな~と思いまして
とりあえず、以下を採用しました。
石鹸の起源
人類初の石鹸は、紀元前3000年頃にできたと言われています。
古代ローマ時代の初めごろ、サポー(Sapo)という丘の神殿で羊を焼いて神に供える風習がありました。この羊を火であぶっているとき、したたり落ちた脂肪が木の灰に混ざって石鹸のようなものができたのです。その石鹸がしみ込んだ土は汚れを落とす不思議な土として珍重されました。石鹸は油脂をアルカリ剤で煮るとできるのですが、この場合は熱々の木灰が脂を煮るアルカリ剤の役目を果たしたわけです。英語で石鹸を意味するソープ(soap)は、この丘の名前から取ったといわれています。
サポーの神殿で石鹸が偶然できていた紀元前3000年代、メソポタミア(現在のイラク)でも石鹸が作られていました。シュメール人が羊毛の洗浄と石鹸の製法について粘土板にくさび形文字で記しています。作り方は木灰にいろいろな油を混ぜて煮たというもので、塗り薬や織布の漂白洗浄に使われていたそうです
http://www.live-science.com/honkan/soap/soaphistory01.html
ふむふむ。
このリンク先からわかることは
石鹸製造は8世紀ごろからスペインやイタリアで家内工業として発達。
当時の石鹸は動物性脂肪と木灰から作ったかなり臭いものだったようです。
12世紀ごろになると、地中海沿岸のオリーブ油と海藻灰を原料とした硬い石鹸(硬石鹸)が工業的に作られるようになり、この石鹸は硬くて扱いやすく、不快な臭いもなかったのでたちまちヨーロッパで人気になりました。
このころ石鹸製造が盛んだったのはフランスのマルセイユやイタリアのサボナ、ベネチアなど。
サボナという地名はサボン(savon:フランス語で「石鹸」)の語源。
17世紀には、地中海の物資の集積地であるマルセイユが石鹸工業の中心地ともなりました。
18世紀に入るとアルカリの需要が増えてきて、海藻や木から灰を作るだけでは追いつかなくなってきました。
そこでフランスが懸賞金をかけて募った結果、1791年にフランス人科学者ルブランがアルカリ剤の合成に成功します。
これは海水から採った食塩から硫酸ソーダを作り、それに石灰石と石炭を混ぜて加熱して炭酸ソーダを取り出すというものです(ルブラン法)。
石鹸製造にはアルカリ剤が不可欠ですから、これによって石鹸を大規模に生産することが可能になったのです。
その70年後、1861年にはベルギー人ソルベーによって、アンモニアソーダ法(ソルベー法)が発明されました。
これは食塩水にアンモニアガスと炭酸ガスを吹きこんで重炭酸ソーダ(重曹)を作る方法です。
ルブラン法よりも低コストで品質の高いソーダを大量に作れるので、世界中で採用されました。
その後1890年には、食塩水を電気分解してソーダを作る電解ソーダ法がドイツで工業化され、今ではこちらが世界の主流となっています。
このようにしてソーダが安く大量に作られるようになると、石鹸の製造コストも下がって安く買えるようになります。
そうなると庶民も気軽に石鹸を使いはじめ、衛生状態が良くなってきたそうです。
さて、上記の歴史の中に登場してくる「マルセイユ石鹸」ですが、
初期のマルセイユ石鹸と現在のマルセイユ石鹸は別物だそうで、
時代とともに、鹸化法や原材料となる油脂の種類が変化してきたということです。
詳しくは
マルセイユ石鹸の歴史
http://www.live-science.com/honkan/soap/soaphistory02.html
原材料はともかく、マルセイユ方式で作られていれば、マルセイユ石鹸を名乗ることができるようになっていったとか。
いずこも同じという感じですね。
次回は日本にシャボンがやってきたところから。
11月になってから順番に余裕をもってやろう なんて考えていた冬支度ですが、
今週末に雪が積もるという予報で、マキでやりました 笑
昨年根雪になる前の重い雪のせいで枝折れさせてしまったので。
また、庭木は今年は移植してから2か月しか経っていないこともあり、かなり念入りにやりました。
玄関前のクレマチスモンタナとジューンベリー
風が吹き付けるのでがっちりです。
枝を束ねて結ぶまでは息子とやっておいたのですが、ムシロまきと手直しは移植してくれたおじさんが来てやってくれました。
リビング前のエゴノキ
家の中にいてふと庭になんかいる!とか思ったりして・・笑
手前はヤマボウシウルフアイ これは自分でやりました。
向こうは普通のヤマボウシ 風が真っ向から当たるのでがっちり。
これは以前からあるドウダンツツジ
冬囲いされていなかった時期があるようで、枝が雪の重みで途中から折れ曲がってそのまま大きくなっていました。
あまりひどい枝は以前に剪定し、残った枝をぐいぐいっとまとめて縛りました。
枝が横に大きく広がってしまっているので、到底一人ではできずに息子と2人でやりました。
それでも四苦八苦、途中2人でなんだかおしくらまんじゅうでもして遊んでいるみたいになったりしてやっと縛り上げました。
ロサグラウカの幼苗
最初、内側の3本だけにしていましたが、つぶれるかもしれないと外側に一回り大きく囲いました。
自己流もいいとこですが、とにかく雪で折れたりしなければいい ということで
おねんねしたバラさんたち
小さなポットの宿根草はポットごと地中に植えて、
上から腐葉土のお布団をかけました。
植物さんたち、ゆっくりおやすみなさ~い。
来年の春にまた会いましょう。
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性別:
女性
職業:
主婦・母親・自由業・他
趣味:
読書・ガーデニング・カメラ他
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生まれと育ちは関東地方
引っ越し(家の売買も含め)7回を経て札幌郊外に
現在は築32年の家をリノベーションしたもの。
100坪以上の庭も改造中
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