札幌で庭づくりをはじめて4年。
ナチュラルガーデン&クレマチスが好き
グレーと白のブチのウサギも飼育中
久しぶりに穏やかな晴れ、風は冷たく、やっといつもの北国の風に近くなりました。(それでもかなり暖かめですが)
おかげで外仕事ははかどりました。
暖かいせいか、まだまだ元気な花もありますし、季節外れで咲いているのも
アルケミラ・モーリス (レデョーズマントル)
(ピンボケですみません)
花は5月~7月です。
雨続きでよく見ていなかったのですが、様子からすると一週間くらい咲いていたかも・・・
ポリゴナム 花は春~秋 ヒマラヤ原産だそうで、咲いているのも納得
(こちらもピンボケ気味)
菊の仲間・・?よくわかりません・・
夏お休みして、また咲いています
秋色マリーゴールド 種まきしたもの
カラミンタネペタ、なつからず~とず~と咲いています。
ありがとね~
ビオラ これが元気なのは納得。
最後はこれ。
娘の研修旅行(最近は修学旅行って言わないのですね)のお土産、
このほかにももみじ饅頭と八つ橋と京都のバームクーヘンとお団子と・・・(*´∇`*)
といろいろ買ってきてくれました。
先週の土曜・日曜を挟んで3泊4日
お土産からわかるとおり、広島(厳島)・京都(清水寺)・大阪(USJ)です。
タコ焼きめっちゃおいしかったとか、
電車に乗ってておばさんに席を譲ったら、一緒にトランプをして、地下鉄の行先まで案内して連れて行ってくれて、お昼までまで御馳走になったそうです。
いろいろ楽しかったのはよかったのですが、風邪ももらってきたらしく、しつこい咳が続いています。
空はあまりきれいではなかったそうで、変わった雲とかも見たそうです。
日本全国、調子狂ってるかも?
昨日、吉田兄弟のコンサートに行ってきました。
今も津軽じょんがら節聞きながら書いています。
コンサートは大きく分けて3部構成、
1部は、吉田弟が関わる若手トップクラスの三味線集団 「疾風」
2部は 吉田兄の準邦楽ユニット WASABI
3部は吉田兄弟
いや~三味線の音って痺れます。
それに生で聞くと、叩きの音の振動をビンビン感じる。
にわか勉強ですが、
2つの演奏法
叩き三味線
糸を豪快に叩くようにして弾く演奏法。現代では多くが叩き系の流れを汲み、前述の白川軍八郎も叩き系です。
弾き三味線
唄をうたうように繊細に奏でる演奏法。弾き系の流れを汲む奏者は現代では少ないとされています。
http://www.tsugaru-shamisen.jp/knowledge/
津軽三味線は,青森県の津軽地方で発達した三味線音楽で,バチを叩きつけるように弾く打楽器的奏法と 速いテンポの曲が特徴。
明治時代に 津軽地方で“ボサマ(坊様)”と呼ばれる盲目の旅芸人が,家毎の軒先で三味線を弾き 金や食料をもらって歩く“門付け(かどづけ)”の芸として始まった。
津軽三味線の始祖といわれる“仁太坊(にたぼう)”は金木(五所川原市)の生まれで,幼くして天然痘にかかり生死をさまよった末に失明してしまった。さらに子供時代に両親を失って天涯孤独となった。
彼は生きるために門付けを行い,毎日の糧を求めて三味線を弾き歩いた。他のボサマより目立つために,より大きな音・派手な技を追求するようになり,やがて“叩き奏法”を編み出して 自分の三味線芸を創り上げていった。
弟子達にも“人真似でない自分の三味線”を弾くという芸哲学が伝えられ,弟子の一人・白川軍八郎が“曲弾き”(三味線の独奏で曲芸のような弾き方)を編み出した。
昭和40年代の民謡ブームで 津軽三味線は一世を風靡し,それまで単に“津軽もの”などと呼ばれていたこの“ボサマ三味線”は『津軽三味線』と呼ばれるようになった。
本来は単なる伴奏楽器として演奏されていたものが,やがて三味線のみで演奏する“前弾き”が独奏として独立し,合奏団形式のコンサートが演じられるようになり,独奏楽器として吉田兄弟等の演奏家が台頭してきた。
http://hamadayori.com/hass-col/music/TugaruShamisen.html
参考
独特な奏法が特徴の津軽三味線、意外に歴史は浅い
http://www.athome-academy.jp/archive/culture/0000001061_all.html
津軽三味線は、東北の厳しい気候風土の中で生きる糧を得るために、まさに命を懸けて生まれたものと言えるでしょうね。
北海道に来てますますおもいますけれど、日本の温暖な地方では二毛作ができたり、米を2度作れなくても、冬季のあいだに冬野菜をつくれたりする、けれど北国はそれができません。
東北以北では、米作・農業中心の生活では豊かさとは程遠い所にいた人たちがたくさんいたのだろうと思います。
三味線の音色には、そういうものを感じてしまいます。
音楽もただ楽しいだけではなく、そこに込められた切なる思い、願い、が伝わってくる。
そういう音楽が、邦楽、洋楽、ジャンルを問わず、好きな気がします。
千歳でのんびり過ごして、先ほど帰宅。
家で過ごすのも好きなのだけれど、旅も好きだな~とやはり思う。
帰る場所があるから、旅も好きになれるのかもしれないけれど。
さてさて、最近はTV見るものがないのだけれど、今日は日本シリーズとフィギアスケート、グランプリシリーズと重なって、お~マイガ
フィギアは録画予約はしたけれど・・
野球はあまり見ないので、こんな言葉があるのは初めて知りました。
ジャンパイア
日本プロ野球界において、特定の球団、特に読売ジャイアンツに有利な判定をすると言われている審判員に対する蔑称。
単に審判の技量が低いことによる誤審の場合もあるが、ジャイアンツに反感を持つ野球ファンの間で読売寄りの判定が多いのではないか、という不信感が根強い。
2003年6月の広島-巨人戦、いわゆる「広島ジャンパイア事件」*1や、ブラウン監督のホームベース隠し→退場で有名になった2007年4月10日の広島-巨人戦など、1試合全体を通じて巨人への有利な判定がされている試合が、複数報告されている。
また、2006年7月には、巨人・原監督自身が「何年か前のジャッジは、正直、ジャイアンツに有利に働くジャッジが多かったものです。それは他球団の監督にアンケートをとっても、はっきりするでしょう。」と述べている*2など、ファンのみならず野球関係者の間でも巨人に有利な判定が多いとの認識がある。
なお、類義語として球団名をもじったものが多く見うけられる
そうなんだ~
でもさ、フィギアスケートをよく見てきた私は、一昨日、いいな~って思ってしまった。
それは、解説者がその場で「誤審です」ってはっきり何回か言ったこと。
フィギアスケートはさ、解説者が、よくて「回転はたりてたように思うのですけれど・・」とか、「どのようにジャッジされるのでしょうか・・」とかで、
酷い時は、技術的な話はほとんどなくて芸術性がどうの、全体の流れがどうの、とかいう話になっちゃってウヤムヤにされて、誰も何も言えないのだよ。
審判結果がひっくり返らなくても、「誤審」とはっきり言えることがいいな~と。
スポーツもよく見てると、選手やスタッフ、関係者の人間性や周辺から背後の人間模様まで透けて見えたりしますね(;^_^A アセアセ・・・
そういえば、タダノ投手、もしかすると某所(サッポロ)でちょっとすれちがったような、
あまり球場以外でじろじろ見るのは失礼かと思ったので、よく見なかったのですが。
大変、礼儀正しい方のようにお見受けいたしました。
本日は千歳に来ています。
娘を送ったついでに私もちと小旅行。
温泉三昧ってところです。
さて、昨日の日本シリーズはちと後味が悪かった。
世紀の大誤審!加藤小芝居?危険球退場の多田野「だます方もだます方」
「日本シリーズ第5戦、日本ハム2-10巨人」(1日、札幌ド)
“誤審”に騒然となった。四回無死一塁で日本ハム・多田野数人投手(32)が、巨人・加藤健捕手(31)に投球。リプレー映像を見る限り、頭部死球ではないように見えたが、柳田昌夫球審の判定は危険球。日本ハム・栗山英樹監督(51)が猛抗議したが、判定は変わらず。この打席で苦痛に顔をゆがめて倒れ込んだ加藤は、後の打席で大ブーイングを浴びた。
札幌ドームが不穏な雰囲気に包まれた。いたるところから大ブーイングが巻き起こった。
四回無死一塁。2番手・多田野がバントの構えをした加藤の頭部付近に139キロストレートを投じた。よけようとした加藤がのけぞってそのまま後方に倒れ込むと、心配した原監督が不安げな表情でベンチを飛び出した。
中継映像では、投球が体に当たったようには見えなかったが、柳田球審の判定は死球。しかも危険球とみなして退場を宣告した。
栗山監督はたまらずベンチを飛び出し、珍しく血相を変えて猛然と抗議したが、判定は覆らなかった。
疑惑の場面について指揮官は「バントにいっていたのでストライク、空振りでしょ」と主張したという。一方の柳田球審は「栗山監督から『死球ではない』と話があったが、ヘルメットに当たったと判断したから危険球退場とした。一瞬のことなので、そのときはそう判断した」と毅然とした態度で説明した。
日本ハムの選手からは不満の声が上がった。鶴岡は「ヘルメットに当たった音じゃなかった。ヘルメットならカツンという音がする。バットの音がした。何て言っていいのか分からない」と複雑な表情を浮かべた。続けて「柳田さんは最初、ファウルと言ったが原監督が出てきてから判定が変わった。それ(判定)に関してはコメントのしようがない」と話した。危険球退場となった多田野は「だます方もだます方。だまされる方もだまされる方」と審判の判定と、加藤への不満を言い残して球場を後にした。
結局、1死一、二塁とピンチは拡大して再開。3番手の森内は負の流れを止められず失点すると、五回には大ブーイングが起こった加藤の打席で、2点二塁打を許してしまう。ファンにとっては、やるせない流れとなって、痛い星を落とした。
2勝3敗で王手をかけられた。移動日を1日挟んで3日から再び東京ドームに乗り込む。何とも後味の悪い敗戦となったが、試合後の栗山監督は「審判がそう見えたんなら仕方ない」と大人の対応をする一方で「絶対にあきらめない。みんなに喜んでもらえるように頑張りたい」と前を向いた。栗山ファイターズが底力を見せるときがきた。
http://news.livedoor.com/article/detail/7103177/
この場面、私もTVで見てましたけれど、小芝居という言葉は的を得ている感ありです。
でも、日ハムの選手やファンは、もう次のこと考えていると思います。
終わったことは終わったこと。
なかったということにはならないけれど、そこにこだわっていたら前に進めませんもの 笑
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kisaraki
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女性
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生まれと育ちは関東地方
引っ越し(家の売買も含め)7回を経て札幌郊外に
現在は築32年の家をリノベーションしたもの。
100坪以上の庭も改造中
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